うすうす感じてはいたけど、実体験に基づく的確な指摘に、この日本が抱える深刻な格差社会を理解せざるを得ないですね。

<ポイント>
・田舎者は、田舎に住んでいるというだけで、想像以上のハンディを背負わされている。
・文化と教育の地域格差が、想像以上に大きい。
・田舎で暮らすということは、多様な文化と多様な教育とはどういうものかを想像すらできない。
・田舎の小中高生にとっては、「将来のために勉強する」という発想もまた、かぎりなく不可能に近い。
・ネットで情報を得ようにも、そのキーワードすら想像出来得ない。


現代ビジネス2018.4.25配信:
「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353



さて、なぜ教育は国民の義務なのでしょうね。
教育は、国つくり ヒトつくりの根幹ですから。

現代社会では、当たり前に教育を受けることができる環境があるが、明治以前は違いました。
欧米列強、富める国の人の知識・経験・技術・・・ 当時の日本とは雲泥の差。

昔のNHK朝ドラ 「おしん」 には、明治時代の幼い奉公人 おしん が、教育を受ける権利を
与えられずひたすら激務な体力仕事に半強制従事させられる姿が描かれていました。

過酷な奉公現場から抜け出し、雪山で出会ったインテリ脱走軍人に 字や算数、反戦の心を教えてもらう
シーンが印象的。



教育こそが国を作り、ヒトを作る。
そう思いますネ。
ただ、大量生産型・情報つめこみ型の形式は、「教育」というよりは・・・まぁ、アレっすね。



多様な情報に【肌で】触れることのできる現代社会における都会。
パソコンの【画面】だけでは知りえない、様々な分野に対する知的好奇心を満足させる「何か」が連続して「そこにある」いるということでしょうね、都会には。